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     at heart

     
   


ジェラシーは愛に似た獣
そんな言葉を綴りながら、そんな獣がいることなど信じていなかったがために彼は命を落とした。
人は簡単に獣になることができる。誰かを獣にすることも。
「俺だって胸を掻きむしられるような想いをしたことはあるさ」
頭の中で考えただけのつもりだったのに、声にだしていたことに気がついたのは、
「……ほんまか、先生?」
アリスが困ったように笑いながら、相槌がわりに小さな声で言ったからだった。
しまった、と思ったが、俺はいつにも増して無愛想に、
「多分な」
と返答するしかなかった。アリスは、ふふんと笑い、それっきりそのことには触れず、ハンドルを
握って車を走らせた。
本当はアリスもそれを知っている。
今よりもまだ少し若く、いつのまにか目の前に現れた恋を捕まえたことに有頂天になり、それに
眩んでいた俺のことを。

「なにがそないに気にくわんのや」
アリスは泣き喚く子供に手を焼いたような声音で呟いた。そして俺は、その言葉に動揺した。
初めて逢った時に感じたように、アリスは誰とでもすぐに親しくなる。派手ではないが、それなり
に社交的で、けれども、なにもかも人に合わせるというわけでもなく、自分と他人とのラインを
巧く計っている。それだからこそ、俺はアリスの友人になることができ、親友という定冠詞がつき、
やがて互いの望むものを知り得て恋人という形にまで収まった。
けれどそのアリスの美点ともいうべきものを、ほんのささいなことで否定してしまうことがある。
「俺が君の知り合いと親しくなるのが嫌なんか?」
ひさしぶりに二人で外食したその店に偶然居合わせたのは、フィールドワークで出入りしはじめた
警察署の警官だった。ただ挨拶だけすれば済むはずだったのに、彼の話は推理作家をめざすアリス
の興味を惹き、結局は食事の間中話し続けた。
「俺は、君以外の人間と口をきくことも許されんのか?」
待ち合わせの場所にアリスは会社の同僚と連れ立って歩いてきた。アリスは俺に気がつくまで、
そいつと楽しそうに何事かを話していた。豊かに笑う顔が、俺ではない者にも向けられるという
あたりまえのことに、俺は心ならずも小さな衝撃を受けていた。
それはつまらない嫉妬。
けれど、そんな自分を笑い飛ばせない。
結局俺は、アリスの部屋に入るまで、終始不機嫌な自分をあからさまにしていたらしい。
そしてたまりかねたアリスは、
「なにがそないに気にくわんのや」
溜息をついた。

向かい合って座るリビングのソファ。フローリングの床。積まれた新聞や雑誌。テーブルの上の
水割りのグラス。どこよりも寛げるはずの見慣れたアリスの部屋の中で、俺は落ちつかない。
目の前にいるアリスの、少し怒ったような困惑気な顔。
なぜだろう…なぜこんなに苛立つのだろう。アリスに説明するどころか、自分でも把握しきれない
感情。
黙り込んでいる俺にあきれたのか、アリスはまたひとつ軽いため息をついて水割りを一口飲んだ。
俺は、考えることもなしに不意に立ち上がってアリスの脇に立った。
「なんや」
目の前に立つ俺を見上げるアリスの頬は、酒を飲んでいるにも関らず少し白い。会社勤めを続けて
きたために、個人的な思いを隠す外向けの仮面を被れるようになったアリスは、対処に困ったとき
など時折俺にさえもそれを付けて見せる。…そんなものは砕いてしまいたい。
アリスの顎をつかみ、顔を仰向かせる。それでもアリスは表情を変えなかった。
「…俺はおまえの目の中に入る誰も彼もに嫉妬してる…笑いたければ笑え」
アリスはぴくりと眉を動かした。
「勝手なことを言うな。俺は…君にそんな想いをさせるようなことは何もしてへん」
わかっている。
けれど俺の衝動は、アリスの襟をつかみ引き寄せて激しく口づけることで現わされた。舌に噛み
つき血が出るほどの口づけをどれほど続けただろう。少し抗ったアリスは、しまいには諦めたのか
目を閉じて俺のするがままに口唇を預けてきた。
口唇を離すと、アリスはゆっくりと目を開いて俺の目を見つめた。
「俺に、どないせぇ言うんや」
おそらくは、俺を落ちつかせようと殊更冷静に言ったのであろうアリスに、却って俺はかっと
なった。
「お前を……滅茶苦茶にしてやりたい……俺以外の者のことなど考えられないほどに」
「……エゴ丸出しや、君」
俺はアリスをソファに押し倒し、その上にのしかかった。
そのときの自分がなにを考えていたのか、後になってもわからい。
怯えさせて自分に縋らせたかったのか。
他の者には知り得ない俺の腕の中のアリスが見たかったのか。
ただ、君だけだ、という簡単な一言が聞きたかっただけなのか。
俺はアリスの首に両手をまわし、交差させた親指には力が入っていた。
はっとして力を抜き、アリスを見やる。
アリスは苦しげに眉を顰めていながら、俺の手を振り解こうともしていなかった。
「アリスッ!!」
肩を掴んで揺すぶると、アリスはふうっと息を吐いた。俺は安堵のあまり、アリスの胸に顔を伏せ
て……泣いた。そして知った。
自分の中にいる獣は簡単に獲物に食らいつく。それを押し留めようとする理性など瞬時の内に霧散
するのだ。俺はこのままでは……。
「……あほやなぁ、君は」
アリスの声が聞こえ、頭に手がのせられたのを感じた。
「確かにな、死んでもうたらもう俺は他の誰のことも見んし、誰のことも考えないけどな。
 でもそうしたら、君のことかてこんなふうに触れたり、呼んだりもでけへんようになるんやで?」
アリスの手に力が入り、俺の頭をぐいっと持ち上げた。
真っ直ぐに、アリスの目が俺の目を覗きこむ。
「ええんか? それでも」
睨みつけているのに、不思議と優しい目が、俺を見ている。俺は、首を横に振った。
アリスは、俺の目尻や頬に口唇を寄せた。
「俺が死んだ思うて、怖かったやろ」
俺の涙で濡れた口唇が、笑うように囁き、ん? と返事を促す。
「……怖かった」
失ったと思ったアリスが、失わせたと思った自分が、怖かった。
アリスは俺の頭を胸に抱き込んだ。
「俺は怖くなかったで。君、そんなに力入ってへんかったし…君が俺を殺せるはずないしな」
俺はアリスにしがみついた。アリスは、俺の頭をやさしく撫でる。
「……やきもち妬きぃ」
からかうように言って、アリスが笑った。

その時から俺の中の獣は、アリスに飼い馴らされている。


「火村」
70年代のブリティッシュ・ロックに合わせて歌っていたアリスが、なにを思いついたのか歌声を
途切れさせた。
「なんだ」
「正月用の餅、買うてなかった」

くやしいことに俺には、アリスの頭の中で何が思い出され、そのあとどういう連想が働いたのか
までが、すっかりわかった。


   
         








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