so
tired , but so ...
朝は早く、夜は遅くまで。 さぼっているわけでもないのに、後から後から仕事という獣が追いかけてきて私を食らおうと する。あと少しで文字通り『忙殺』されるに違いない。 考えていられる時間は、ここ数ヶ月でどれだけあっただろう。外を歩くたび、躰から水分が流 れだしたり纏わりついたりを繰り返している季節だというのに、気がつけば月めくりのカレン ダーは、まだ春のままだった。 生きていくために必要な金。 そのために働き、それによって少しずつ殺されている気分だ。 推理小説家になるのを諦めたわけじゃない。 時々そう言い聞かせないと忘れそうになる自分なんて、思ってもみなかった。 くたくたによれた躰をマンションまで連れ戻すと、玄関のところに見慣れた男が立っていた。 私は思わず立ち止まり、意味もなく溜息をつく。 「よお、おかえり。なんだよ、人の顔見て溜息か?」 「ああ……すまん。びっくりしたのと疲れとったのがごっちゃになったわ」 「そりゃ悪かったな……ところで、俺もお前と一緒に部屋に入れていただければありがたいが」 いくら疲れているからと言って、こんな深夜に立ちん坊で待っていた親友……を追い返すほど、 私も冷たくはない。鍵を開けて火村を迎え入れ、合い鍵を作ろうと思っていたのに忘れていた ことを思い出した。 「お前、ちゃんとメシ食ってんのか?」 火村はすぐにソファに座ることもなく、心配そうな目をして私の顔をのぞき込んだ。 正直言って、あまりほめられた食生活はしていない。朝はパンをかじる程度だし、夜は食べたり 食べなかったりで不規則だ。幸い社員食堂のおかげで昼食はしっかり食べることができるが、 これでは日々の激務に対していささかエネルギー不足の感がある。 「なんか少しやせたぜ。忙しいんなら、それだけしっかり食わねえと倒れちまうぞ」 「わかっとる……今日はちゃんと食った」 私はまた溜息をついて、ソファに座り込んだ。スーツが窮屈だが、疲れていて着替えるのも億劫な ほどだった。火村は勝手知ったる他人の家で、勝手にコーヒーを入れ始めている。そのまま私は しばらくぼんやりと天井をながめていた。そして、とりあえず上着を脱ぎ、ネクタイ、ワイシャツ の衿もとのボタン、カフスを外すと、少し楽になった気がする。 関わりあっている人間はたくさんいて、けれどそれは私自身とではなく、名刺に 書かれている会社名に付随している「有栖川有栖」という者に関わっているだけ。 私が倒れようが寝込もうが、代りはいくらでもいるだろう。 それが……妙にせつない。 なにを甘えたことを言っていやがる。 代りがきかないような者になってみやがれ。 そんなふうに自分を鼓舞するのにも、いささか飽きてきたのかもしれない。 「なあ、なんか用だったんやないんか?」 「いや。しばらく会ってないから、元気にしてるかと思って来てみただけだ。明日は休みだろ?」 火村はカップ二つを手に、私のとなりに座った。 「ふうん」 火村の淹れたコーヒーをありがたく頂戴しながら、私は気のない返事をする。わざわざ様子を見に 来てくれたのだろうに悪いなとは思うが、なにせ人を気遣うような気力がない。 でも、実を言うと喜んでいる。そろそろに会いたいと思っていた。会って、わがままをぶつけて みたかったと言えばいいだろうか。 「まさか明日も仕事なのか?」 「いいや、休み。久々の休みなんやー、もう、一日寝たおしたるわ」 「そっか……よかったな」 わかっているのに、逸らしている。 火村がここへ来る理由――それは私に会いたいから。 私に会うということは、私と抱きあうことだ。親友なのか恋人なのか、自分でもよくわからない のにひょんなことから始まった身体の関係を続けている。今夜も、彼が私を欲しがっていることは 充分わかる。 けれどわざと、気付かないふりをする。 思う存分甘えられる男が私を気遣う。私は少し、意地悪な気分になれる。 「本当に疲れてるみたいだな……早く寝ろ」 「用事……てわけやなかったんやな」 片方の眉をぴくりと上げて不服そうな顔をする彼が、私は大好きだ。 私の言葉ひとつで揺れ動く脆い心。誰よりも強そうに見えて、誰よりも弱い男。もてあそぶわけで はないけれど、時折つついてみたくなる。その神経を逆なでしたくなってくる。 「用がなけりゃ来ちゃいけないって口ぶりだな」 不機嫌さがいよいよ表れてきて、黒い瞳が険しくなる。 面白い、と心の中で笑いながら、私はあくびをした。 「そないなこと言うてへんで。用あるんやったら俺がくたびれとって悪いな、て思うただけやん」 「………」 「ごめんな、ちょお風呂入ってくるわ」 どっこいしょ、と口に出しては言わないが、内心つぶやきながら立ち上がる。何も言わずに私を 見上げている火村とふと目が合い、私はにっこりと笑いかけてバスルームへ向かった。 多分、私がシャワーを浴びている間に火村は帰ろうとするに違いない。私はタイミングを見計らっ て、バスルームの中から大声で叫んだ。 「火村ー! おーい!」 ほどなくしてドアの向こうから、なんだ、という低い声が聞こえてくる。 「悪いけど、石鹸取ってや。そこの棚ん中」 「……石鹸……これか」 火村は棚の中から石鹸を見つけ、パッケージを破いて中身を出す。私はドアを半分ほど開けて、 その石鹸を受け取るために濡れた腕を差し出した。 「ありがとな」 火村の目を見つめて笑い、石鹸を取ってドアを閉めた。 これで、火村は帰ってしまうことはない……賭けてもいい。 私は何だかおかしくなって、くすくすと声を潜めて笑った。なんて今夜の自分は意地が悪いのだ ろうと呆れながら。 躰も心も、少しずつ磨り減ってきている。 そのうち慣れるさと言われ、確かにそうなんだろうとは思う。同時に、慣れる前に壊れて しまうかもしれない、とも。 上司、先輩、同僚、取引先。そんな単語で説明できる者たちになど、壊されたくはない。 私を知ってくれている、私だけをみつめる者に、私は追いつめられたい。 さっきまであんなに疲れて眠かったはずなのに、シャワーを浴びているうちに目が冴えてきて しまった。この後の時間を考えれば、それは好都合とも言えるのだが。 ドライヤーの温風を髪にあてながら、この後のことを漠然と想像して、また笑った。 「おい……なんか笑ってなかったか?」 腰にバスタオルを巻いただけの姿でリビングに戻ると、火村が不審そうな顔で話しかけてきた。 灰皿にふと目を向けると、吸い殻は軽く五本を越えている。その形で、彼の精神状態が窺える。 多分、少し不機嫌。 私は首と肩を回してのびをしながら、また気のなさそうな返事をした。 「いいや、 空耳やろ」 ま、いいけどなと火村はつぶやき、新しい煙草をくわえようとする。私は彼がライターを手に 取る前に話しかけた。 「なあ火村、ちょおマッサージしてくれへんか? 働き過ぎで身体中こってるわ」 「マッサージぃ? じじくせえな。情けない」 「ええやんか。たまにはサービスしてや」 肩やら腕やらこっているのは事実なのだから仕方ない。私はさっさと寝室に入り、ベッドにどさり とうつぶせた。サービスなんていつもしてやってんじゃねえか…とぶつぶつつぶやきながら火村も 私の後に続き、ベッドの脇に腰掛ける。 「どこがこってんだ?」 「適当にやってや、適当に」 「はいはい、わかりましたよ」 彼はうつぶせに寝ころんでいる私の上に跨がり、ひんやりとした指で首や肩や背筋を押してくれ る。こっているところを上手にほぐしてくれる。 「う〜気持ちええ〜君うまいなあ」 「……ホントにこってるな、お前」 火村の指は背骨にそって徐々に下降し、腰までたどり着く。申し訳程度に下半身に巻き付いていた バスタオルをはぎ取り、私の身体は露になった。同時に、指の動きが今までと異なる意味を持って くる。 「おい、真面目にせえよ」 「やってるよ」 ゆっくりと腰の窪みを両の親指で押しながら、残りの指もさわさわと私の肌に触れてくる。ふと 気付くと、火村の指は彼の唇とともに、私の背中やわき腹を妖しく這い回り始めていた。 「こら火村、マッサージちゅうても性感マッサージとちゃうで」 火村は返答せずに舌の先を尖らせて背筋をなめ上げ、うつぶせた私のうなじにきつく口づけた。 今のは間違いなく痕が残るな……そう思いつつ、 「何しとんねん……最近のマッサージは口も使うんか?」 形ばかりの抗議をする。当然こうなることは予想していたことなのだが。 火村は、私の首筋や肩や背中に口づけを繰り返しながら、笑いを含んだ声で囁いた。 「……白々しいぜ……誘ってるくせに」 お互いにわかっていて、騙しあう。たまには、こういうのも悪くない。甘すぎる新婚夫婦のような 愛し合いかたもいいけれど、ほんの少しひねくれて誘い誘われるのも……。私は枕に顔を埋めた まま、くすくすと笑った。 「誘ってへんで? こってるからマッサージしてくれ言うただけやん」 「へえ、そうか。じゃあ、マッサージも終わったし、帰るか」 それこそ白々しい台詞を吐く火村を、身体をひねって見上げる。探るように見つめあい、にやりと 笑う。私はそっと手を伸ばして、火村の下半身に触れた。スラックスの上からでも、その変化は すぐわかる。予告なくぎゅっと握りしめると、彼は不意をつかれたように一瞬眉を寄せた。 「……欲しくてたまらんくせに」 私はまた、笑って言った。 緩慢に続く痛みを忘れるための衝撃が欲しい。 この餓えは、なんという種類のものだろう。 火村は私に跨がったままシャツを脱ぎ捨て、私の身体を仰向けにひっくり返し、噛みつくように 口づけてきた。 飢えている……この男も。それが嬉しい。 「……俺で遊ぼうとしやがったな?」 私をがっちりと組み敷き、皮肉げな瞳で私を見下ろしてくる彼は途方もなく魅力的で、心の中で あえぎにも似たため息がもれる。 「なんのことや?」 それでも、素直になんかなってやらない。 もっと苛立て。もっと不機嫌になれ。もっと腹立たしく思えばいい。 「ざまあねえな……お前に散々振り回されてるよ、俺は」 「そんなん俺の知ったこっちゃないわ」 力を入れて、組み敷かれている腕からすり抜ける。ふいと背を向けて横になる。火村の手が私の 躰を追いかける。その手に応じてみたり、逃げてみたり。 「たちの悪い猫みたいな奴だ」 私は声を潜めて笑った。不意打ちのように火村の首に腕を巻き付け、その首筋をなめ上げる。 「先生は猫のご機嫌取りは得意やろ?」 「思い通りにならないのが、猫のいいところ、だけどな」 お遊びはもう終わりだとばかりに、火村の強い腕は私をベッドの上に縫い止めた。 欲しがられたい、と思うのは淫らだろうか。 求められるだけでは足りない。多分、実際により多く欲しいのは私のほうなのに、それを隠し とおせるほど、心の底から欲しがってもらいたい。 二の腕を抑えつけられたままくちづけを受ける。 少し抗うふりをして開いた口の中に、火村の舌を誘い込んだ。敏感な上顎が、自分以外の者の 唾液で濡らされる恍惚感にうっとりする。 けれど、今夜私が欲しいのは、こんなに優しいものじゃない。 肘を曲げて火村の腕を握り、爪をたてた。私の口の中に、火村が小さく痛みを洩らす。 口唇を離して、火村は私の目を見下ろした。 ……それは、ほんの数秒のことだったと思う。 火村は私の腕から手を離し、腰を掴んでまた私の躰を反し、さきほど放り出したバスタオルを拾う と、私の手首を背中で合わせてそれでひとつに括った。 私は縛られたあとで抗い、そんなつもりもないのに逃げをうつ。 ベッドのヘッドボードに背を預け、火村の目から核心の部分を隠そうとするように膝をたてた。 火村はそんな私を止めようともせず冷ややかにみつめている。けれど、そんなものは見せかけに すぎない。決して冷静などではいないはずだ。 火村はそっと私に近づく。そうして、ゆっくりと私の右脚に手を伸ばすさまは、先ほど火村が喩え て言ったように、まるで毛を逆立てて怒っている猫に触れようとしているかの如く。 足首をつかまれ、蹴って払う間もなく強く押された。引かれるのだろうと思っていた私が驚いて いるうちに、左の足も同じく足首を掴まれて押される。 背中をベッドのヘッドボードに、太腿を胸と腹に圧しつけられ、ぐっと息が詰まる。小荷物のよう に躰をたたまれ、唯一解放されているのは股間だけという有様だった。 そして私のそこは、躰中が窮屈さに喘いでいるというのに、それを歓んでいるかのように、火村に 向かってその身を差し出していた。 「俺を煽っているつもりで、自分が煽られてるのか」 見下ろしながら火村が笑う。その視線に照らされ、私はなおも熱くなる。 「ずいぶんな躰だなぁ、おい」 そう言いながら、火村の顔がゆっくりと私の股間に近づいて行く。蔑むような口調とじきに訪れる はずの快感に、私はぞくぞくした。 先の部分だけを飴玉を舐めるようにくるりと舌がなぞる。たったそれだけのことなのに、私は歓び の声をあげた。反ってあからさまに曝している裏側を、細かく蠕動させた舌先が這いおりていく。 小さいのに、鋭い刺激。ふとした拍子に触れる火村の髪も、まるで針のようだった。 双珠を交互に含まれ、口の中で転がされると、言い知れぬ怖気に似たものが湧きあがって躰が震え る。やめてくれと言いそうになって、口唇を噛んで堪えた。自分が望んでいるのは、やめて欲しい と感じること、また、それ以上のことだと思っていたはずだ。その証拠に、噛み締める口唇の隙間 からは、もっと、と訴えているような喘ぎ声が洩れている。 ほんの少し前へ腰を引かれたとき、躰が落ちていくような感じがしてなにかに縋りたくなった。 けれども私の腕は背中とベッドに挟まれたままで、既に感覚を失ってきている。力なく指を握り こむことしかできない。 火村の舌は、私の躰の中へ進むための入り口を見つけた。舌全体でそこを覆うように舐められ、 広く濡らされる。 私は自分にすらそこを許さない。ひとり己れを慰めるときでも決して触れたりしない。そこは火村 だけが弄ることができるのだと、決めていた。だから、この前はいつだったか考えなければならな いほど久しぶりに与えられた濡れた刺激は、そのまま高い極みへと簡単に私を誘おうとした。 大きく息を吸って堪えようとしても、胸も腹も抑えつけられていて叶わず、細かく喘ぐことしか できない。声の混じった浅ましいばかりの息遣いを響かせている。 つと舌を離され、火村の息ばかりがかかるそこが、私の意思もなく動いているのがわかった。 火村の目にはさぞかし淫らに映っていることだろうと思っただけで、私はまた快感に震える。 両脚にかかっていた力が緩んで不意にたくさんの空気が入りこみ、無意識に大きく吐き出した。 その瞬間火村の指は私を深く突き刺し、耐える間もなく私から、叫びと、悦楽の証しを吹き出させ た。 まだ余韻に喘いでいる私の顎を、火村は支えるように掴んだ。ぼんやりとしている私の目の前で、 膝立ちしている火村のスラックスのファスナーが下ろされていく。 引き出された火村のモノを、私はみつめていた。そばにあるだけで熱が伝わってくるほどに熱く なっているそれを口元に突きつけられ、私は舌にのせるようにして口内に迎え入れた。 添える手もなく、ただ口だけでそれを逃さないために、強要されることもなく顔を突き出し、舌を 絡めてしゃぶった。吸い上げるたびにそれはぴくっと動き、なお一層口の中に満ちる。呑みこむ ように喉の奥へ誘うと、息がとまるほどに火村は突いてくる。 苦しくて涙が浮かぶのに止めたいとも思わず、いつまでも続けて、いっそそれで喉を塞いで しまってくれなどと思い、火村が腰を引いてソレを抜いたときには、哀しくて泣き喚きそうに なった。 火村は小さく笑って、あやすように私の頭を何度か撫でたあと、私をうつ伏せにして躰を伸ばさせ た。あちこちの関節が軋む。長いこと圧迫されていた腕は未だ解かれはしなかったが、柔らかく 揉みほぐすように擦ってくれる火村の手の熱さが心地好い。 腹に手をまわされて、ぐいっと腰を持ち上げられ、同時に膝も立たせられる。肩と横にした顔だけ で躰を支えることとなり、また少し息苦しく感じる。けれどそれよりも、先ほど弄られた場所が また火村の前に開かれているということのほうが…充分に知っている羞恥にまみれた少しの痛みと それに続く快感への期待のほうが、私には強かった。 「アリス」 囁くように呼ばれ、私のそこはきゅっと収縮した。 火村のモノが押しあてられ、少しずつ、ほんとうに少しずつ入ってくる。焦れた私のそこが蠢いて も、みだりがましく腰を揺すっても、遅々として奥へ進んでこない。 私は水に溺れて空気を求めるように火村を呼んだ。頼むから、お願いだからもっと、と。 それでも火村は、その熱の塊で周りをジリジリと焼きながら、ゆっくりと押し入ってきた。 火村の恥毛が私にぴったりと張り付く頃には、私の喘ぐ声もかなり疲れていた。けれど、隙間なく 納めようとでもするように、掴まれた腰を小さく何度が揺すぶられたときには、またひときわ 違った色の声が飛び出した。 「いい声だ」 火村は嬉しそうに言い、おもむろに動き始めた。 火村が突くとシーツの上で顔と肩が滑り、また激しく脈をうっている私のモノが涙を散らす。 引かれると、掴まれて動けない腰のかわりに、中だけが必死に追いすがろうとする。 ベッドの軋む音、堪えるような短い火村の声、火村と私が繋がっているところから溢れる濡れた 響き、かすれてもう声にもなっていない私の喘ぎ。 それが聞こえていたのも、火村が私のモノに指を絡める前までだった。 ほんの少しくじかれただけで、私の背中は大きく反り、ベッドから上半身が浮いた。 熱い、と感じたのは、自ら放ったものが胸や腹に撒き散らされたのが先だったか、私の中に火村が 叩きつけたのが先だったのか、それすらもわからなかった。 「会社勤めはそんなに辛いのか」 意識が戻りかけたとき、そんなふうに言いながら、火村は私の躰を絞ったタオルで拭っていた。 「みんながやってることだからって、我慢しなきゃならないもんなのか」 まだ、目を閉じたままの私が気がついているとは思っていない。 「おまえの決めた、おまえの生活だから、俺にはなにも言えないし、どうしてやることもできない んだよな……」 火村は溜息をついて、私をみつめている。 けど、こんなふうに私が求めているものを君は与えてくれるじゃないかと、私は言ってやりたかっ た。思うままにならない苛立ちを、言葉にもせずぶつけた。それらなにもかもを忘れさせてくれる ような行為を求めた。君は黙ってそれを理解し、受けとめてくれる。 これ以上、なにを欲しがればいいと言うんだ。 「火村」 と呼ぶと安心したように笑い、 「おう、どうした。あれぐらいで悶絶するなんてだらしねぇな」 憎まれ口をたたく。 「なんか飲むもん持ってきてくれへんか。喉カラカラやねん」 「はいはい。そうおっしゃるだろうと思いましてね、もう用意させていただいてます。まったく 俺はおまえの召使かよ」 起き上がって見ると、サイドテーブルの上に、氷と、色合いからいってウーロン茶と思われるもの が満たしてある冷たそうなグラスが乗っていた。 「酒はやめといたほうがいいぜ。喉にしみるだろ」 なにか不満そうな顔でもしていたのだろうか。私が口を開く前に、火村はにやにや笑って言う。 「声だしまくりだったもんなぁ、おまえ」 グラスを手渡ししてくれながら、妙に嬉しそうなのが癇にさわる。 「……背中」 「え?」 「押しつけられてた背中が痛いねん。君、クッションになって」 「………」 火村はそれでも文句を言わず、ベッドのヘッドボードと私の間に躰を入れて座った。それがなんだ か可笑しい。 火村の脚を肘掛代りに、火村の胸に背中を預け、子供のように安心している。 火村は手の置き所にしばらく困っていたようだが、私の腹の上で組むことで落ちついた。 躰を包みこんでくる温もりと、喉を通り過ぎていくお茶の冷たさの、コントラスト具合がなんとも 心地いい。 「なあ」 動いている私の喉を、火村は後ろから覗きこんでいる。 「んー?」 「次に書く小説は、どんな与太話だ」 ……無礼な奴だ。 私はだいじょうぶ。 煩雑な日々の暮しのなかで、たとえ私自身がなにかを忘れてしまっても、きっとそのたびに、 火村が思い出させてくれる。 |